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城山(じょうやま)は、福岡県宗像市陵厳寺と遠賀郡岡垣町との境にある標高369.3mの山である。宗像四塚の一つであり、宗像地方では知られた山で、また九州でも有名な登山がしやすい山であるため、地元の小学校の遠足などにも利用されている。 山頂に宗像氏の城があったことから城山と呼ばれているが、古くは蔦ヶ嶽(つたがたけ)と呼ばれ、その名は宗像市内の小中学校の校歌の歌詞に残っている。 山麓の陵厳寺の蘿神社(つたじんじゃ)は蔦ヶ岳山頂にあったが氏貞の大改修の際に遷宮されたと伝えられている。 山頂には沖ノ島拝遥所、大きな石灯籠、登山名簿、廣田弘毅と林繁蔵の歌碑がある。また、山頂東にあった城山閣の扁額は廣田弘毅の揮毫だったと伝えられている。 城山は文化圏・都市圏、方言の境界だとされており、宗像市以西は福岡の文化圏(福岡都市圏)、岡垣町以東は北九州の文化圏(北九州都市圏)となるため、通勤客の流動も城山を境に変わる。ただし、宗像市も岡垣町も北九州・福岡の両都市圏に属している。 == 蔦ヶ嶽城 == 第6代・宗像大宮司宗像妙忠が築城し、第54代宗像大宮司宗像氏俊、第79代宗像大宮司宗像氏貞が改修を行う。氏貞の改修は大規模なもので、尾根を削平し多数の曲輪を造成。曲輪群は南北800m以上、東西1km以上に及び福岡県内では屈指の大城郭である。曲輪の斜面には高石垣は無いものの切岸になっており、その下方には畝条竪堀としては北部九州最多クラスの170条の竪堀が設けられ、堀切と共に、尾根伝いに侵攻することが困難な構造になっていた。 戦国末期に宗像氏貞による大改修と共に岳山の城と名付けられ戦国大名の宗像氏の居城となったが、九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。この時に櫓や石垣を破却したとされる占部貞保の記録が残っている。現在目立つ痕跡は本丸跡南側に、わずかに野良積みの石塁が残るのみであるが、土塁、堀切、竪堀の痕跡は残っており、山頂付近では登山に苦労する者も見られる。 尚、二の丸跡に残る石垣は、昭和14年に建設された青少年修養道場「城山閣」のものであり、宗像氏の城とは直接の関係は無い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城山 (宗像市・岡垣町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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